株式会社スマートガーデンの斎藤栄三さんは、今年で77歳。「趣味は仕事」と57年言い続けるほど、造園の仕事が楽しくてしかたないと言います。人生100年時代の経営とこれまでの失敗について、ざっくばらんに話してくださいました。
二十歳で始めた造園業
花木の名前すらわからない状態から齋藤さんが始めた造園業の会社は、20年ほどで従業員を約50名抱えるまでに成長しました。きっかけは、豊中市内にオープンした住宅展示場へ出入りできたこと。
「たまたま出入りできるようになったことが、私の運のいいところだった」
当時は、大手住宅メーカーと仕事の取引をする外構業者がほとんどない時代。運よく受注した工事の評判が伝わって、あれよあれよと大手住宅メーカーと取引できるようになりました。
「職人さんに教わりながら、たまたま始めたのが造園業。朝早くから材料の仕入れに出かけて、自分で職人さんを迎えにいく毎日だった」
住宅展示場という、全国から注目される場所での仕事ぶりがさらに知られ、会社は全国で3ヶ所、東京にも支店を構えるまでに成長しました。
60歳を過ぎてからのリスタート

一度は会社の経営を譲った斎藤さん。
「エクステリアの商品開発を手伝ってほしい」と依頼を受け、ホームセンター大手のカインズへ、カーポートやテラスや物置を納入する事業を始めました。外構工事が本業だったことから「ホームセンターでも外構工事をしてはどうか」と提案。たちまちエリアの店舗は売上がアップし、その評判は全国のカインズホームへ広がっていきました。
身近に起こる出来事を淡々と行うだけでなく「さらに良くなるにはどうしたらいいか」の視点で事業を考える。
斎藤さんのこのスタイルが、60歳を過ぎてまた新しい事業への道を開くことになりました。
「作る」から「庭じまい」へ
若いころは、早朝から材料を仕入れ、職人を迎えて現場へ行って、毎日のように外食していたという齋藤さん。年を重ねて身体も疲れやすくなってきました。そんなころに考えたのが「庭じまい」という事業です。
「これまでは、どんどん庭を作ってきました。ところが大きな庭になればなるほど、相続する人には大きな負担になっていることが見えてきました」
大きな庭石、松の木や燈籠があって、と立派な庭も管理には何十万もの費用がかかります。墓じまいという終活があるように、広い庭を「しまう」事業を始めることにしたのです。
豊中市のチャレンジ事業にも採択され、「庭じまい」のチラシを配布すると、少しずつ問い合わせも増えていき、「庭じまい」へのニーズがあることもわかりました。
ご自身の気付きを事業のアイデアにし、さらにそれを実現していく姿は、まさに「趣味は仕事」そのものです。
出会う課題をサービスに変換
あるとき、外構や庭の整備を幼稚園から依頼されました。
「園庭の遊具の改修も相談されたので見に行って、今は外国製のものが多いんだなとわかりました」
そこで、斎藤さんが行ったことは2つ。庭じまいの事業で出てくる材料も活用しながら、子どもが思い切り体を動せる遊具を作ることと、子どもらが気兼ねなく遊ぶための「国産木材」を使った防音壁作りです。
工事の評判がまた広がって、さらに幼稚園の園庭の仕事依頼が増えました。すると今度は、都市型保育園・幼稚園での課題「スペースに余裕がない」ことにも気付きます。
「敷地の壁面を活用したプランターを作って、スペースの確保と四季を感じる緑を増やしました」
将来的には、壁面にプランターの段々畑ができるのではないかと想像する齋藤さん。子どもたちが「自然」を近くで感じられる庭づくりを提案しています。
「もともと外構造園業者だった私が、庭じまいをきっかけに幼稚園とのお付き合いも始まった。国産木材の防音壁のほか、厨房で出る廃油の活用も考えるようになりました。見えてきたいろんな課題が事業に発展していっている」と斎藤さん。
セミナー会場では「斎藤さんのユニークな発想は、どんなところから生まれるのですか」との質問も。
それには「私は、単なるへそ曲がり。庭じまいの残土も園庭で山にしてみたり、視点を変えて提案したら喜んでいただけた。どうしたら使う人の心に残るのか想像していくと、次々と利用シーンが浮かんでくる」と答えます。
その豊かな想像が、ほかとの差別化にもつながっていると感じられました。
終始「仕事が楽しい」と話す斎藤さん。
「努力していれば、運をつかむチャンスはくるかもしれない」と笑顔で話してくださいました。
斎藤さん、ありがとうございました。
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